青嶋の先生日記

40代中学校教員のつぶやき

部活動顧問の断り方 レビュー その3

前回の続きです。

 

 

 

3 部活動は教育的効果の強い即効性を感じてしまった

 

転勤をきっかけに大御所の先生から独立し、自分で部活を運営することになりました。

起業して独立したような感じでしたね。

 

専門の先生が不在だったこともあり、転勤時からバスケ部顧問になりました。

 

バスケの指導や部活動の運営を前任校同様、大御所の先生の真似をしましたが、まあ再現性が高かったですね。

 

バスケを教えたい私と、専門的な指導に飢えていた生徒たちとマッチングされたことにより、2ヶ月で一気に生徒たちは成長しました。

 

その時の中総体は1回戦から新人の優勝チームと当たりましたが、敗れはしたものの延長戦まで食らいつきました。その時の生徒の頑張りは今も忘れられません。

 

その戦いから、1、2年生も強くなりたいと意識が高くなり、保護者もとても協力的になりました。保護者の協力体制は、県内一だったのではないかと今も感謝しております。

 

そのように教育的効果の即効性(?)を感じてしまったためその後もさらに部活にのめり込むようになりました。

 

県内の先生方とつながり多くのことを学び、県外チームともつながりが増えました。

 

その時に、学級指導、教科指導や生徒会担当等もそれぞれ力は入れていましたが、部活動への力の入れ方が半端なかったですね。

 

朝練から始まり、練習試合の交渉。練習試合の組み合わせ作り各校にFAX。

自分が主催の大会の運営、地区委員長の仕事、県の仕事、選抜関係の仕事。

夜19:00までスポ少の練習。

 

帰宅後も新たな練習メニューを考えるために、指導DVDを観て勉強する日々。

 

やはり当時は学級、教科指導より成果が形として表れやすいと感じてしまい、その分どんどんハマっていってしまい

 

完璧なBDK「部活動だけ教員」に変身してしまいました。

 

 

しかし、今振り返るとBDKへの変身は

 

「専門外の部活動顧問の苦しさから逃げる手段の1つ」

 

が根底にあると感じています。

 

なので、私はそれから運良くバスケ顧問をさせていただきましたが、

 

専門外の部活を持っている先生方には尊敬の念を常に抱いていました。

 

しかし、部活動の考えが一新するのは、現場を離れたこととコロナ感染症の影響がもっとも大きいと思います。

 

その4に続く